2020年6月11日木曜日

スティーブ・ジョブズ卒業スピーチから15年、改めて字幕版を作成してみた


ジョブズの大学卒業式スピーチから15年になります。

スタンフォード大学の卒業式は2005年6月12日に行われています。
改めて日本語字幕付き動画を作成してみました。


2008年に作成した字幕動画から大幅に修正しています。
今回はスマホでも十分に読めると思います。




また卒業スピーチから5年後の後日談の記事もどうぞ。
👉 スタンフォード大学卒業スピーチの後日談「人生ははかない」 | Steve Jobs museum


関連記事:
英語字幕の確認 👉 Text of Steve Jobs' Commencement address (2005)
全地球カタログ 👉 Stay hungry, Stay foolish の出典、全地球カタログ(ホールアースカタログ)について



ジョブズの卒業式スピーチ日本語訳

世界でも有数の大学の卒業式に同席できとても光栄に思います。
実は私は大学を出ていないのでこれが最も卒業に近い体験となります。
本日は私の人生から3つの話をします。それだけです。たった3つの話です。


1つめは『点を繋げる』という話です。

私はリード大学を半年で辞めたのですが、その後18ヵ月間、同じく受講していました。
では、なぜ辞めたのか?生まれる前の話から始めます。

私の生みの母は未婚の大学生で私を養子に出すことを決めていました。
彼女は大学を出た夫婦にと強く思っており、弁護士夫婦に引き取られることが決まっていたのですが、私の生まれる直前に彼らは女の子が欲しいと考え直しました。
そして夜中にリスト待ちしていた私の両親の電話が鳴ったのです。
「予定外の子がいますが、希望されますか?」両親は「もちろん」と答えました。

のちに分かったのですが、私の母親は大学を出ておらず、父親は高校も出ていませんでした。
生みの母親はサインを拒みましたが大学に入れるという約束で折れました。
こうして私の人生はスタートしました。

17年後、大学に行くことになりましたが、何も考えず高い大学を選んだので両親の蓄えは学費に費やされました。
半年で価値を見出せなくなりました。
自分が何をしたいのか、大学がその役に立つのかも分かりませんでした。
そして私は両親の蓄えのすべてを使っている。
だから退学を決めたんです。すべてうまくいくと信じることにして。

高校の卒業アルバム
そのときは とても怖かった。でも振り返ってみると最良の決断でした。
退学した瞬間から興味のない科目の必要がなくなり、面白そうな科目を受け始めました。
すべてロマンチックとはいきませんでした。
寮がないので友だちの部屋の床で寝たり、コーラ瓶を換金して食べ物を買いました。
毎週日曜の夜は 10km歩いてお寺(ハレ・クリシュナ寺院)でご馳走にありついたりしました。あれはよかった。
そして好奇心と直感に従って得た多くのものが後に貴重な価値のあるものになったのです。一例を紹介しましょう。

リード大学は国内有数のカリグラフィー(装飾文字)教育を行っていました。
キャンパスすべてのポスターやラベルまで美しい装飾文字が施されていました。
私は退学して通常の授業の必要もなく技法を学ぶため装飾文字クラスに出ることにしました。
セリフとサンセリフ、字間の調整、素晴らしいカリグラフィーについて学びました。
それは美しく、歴史があり、芸術的に巧妙で、科学では捉えられないものでした。
そして私は夢中になりました。
私の人生に役に立ちそうにないものばかりです。

しかし10年後、最初のMacのときにすべてが思い出されました。
すべてをマックに組み込みました。
そして美しい装飾文字を持った最初のコンピューターになったのです。
あの授業に出なかったら、Macに複数の書体などは入らなかった。
WindowsはMacのコピーだからこれらを持つパソコンはなかったことになります。
退学してなければ装飾文字の授業に出ていないし、パソコンは美しい装飾文字を持たなかったでしょう。

Macintosh (1984)

もちろん、大学時代に先をみて『点を繋げる』ということは不可能でした。
しかし10年後に振り返ってみると実にはっきりしているのです。
くり返します。先をみて『点を繋げる』ことはできません。
できるのは、過去をふり返って『点を繋げる』ことだけなんです。
だから将来その点が繋がることを信じなくてはいけません。
根性、運命、人生、教条、何でもいいから信じること。
点が繋がると信じることで、心に確信が持てるのです。
普通とは違う道を歩むとしても大きな違いをもたらします。
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2つめの話は『愛と喪失』についてです。

私は幸運でした。若くして本当に好きなことを見つけました。
20歳のときに私はウォズとガレージでアップルをはじめました。
10年間懸命に働いて、2人の会社が社員4千人の20億ドル企業と成長しました。
そしてMacという最高の製品を出した1年後、私は30歳となりクビになりました。

ウォズとジョブズ
どうしたら起業した会社でクビになるのでしょうか。
会社が成長し、優秀な経営者を雇いました。1年ほどはうまくいったんです。
しかしビジョンの相違から取締役会が彼の側に立ち、30歳にして辞職したのです。

辞職はとても話題になりました。私の人生の焦点がなくなり、破滅的でした。
数ヶ月は何をしていいのか分かりませんでした。
私は起業家の地位を落とした、受けたバトンを落としたと感じました。
私はデビッド・パッカード(HP創業者)とボブ・ノイス(インテル創業者)に会って台無しにしたことを詫びようとしました。
失敗して有名になったので、シリコンバレーから去ることも考えました。

しかし少しずつ分かったのです、この仕事がまだ好きだということが。
アップルでの事件はそのことを少しも変えなかった。
拒まれても、なお好きでした。そして、また始めようと決めたのです。
そのときは分からなかったのですが、アップルをクビになったのは最良のことでした。
成功の重みが、すべてにおいて再び初心者の軽さになりました。


このことで最もクリエイティブな期間のひとつに入ることができました。
続く5年間でネクスト社とピクサー社を始め、 妻となる素晴らしい女性と恋に落ちました。
ピクサーは「トイ・ストーリー」という世界初のコンピューター・アニメーション映画をつくり、今や世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
思いがけずアップルがネクストを買収し、私はアップルに戻りました。
ネクストで開発した技術は現在のアップル再生の中心です。
そしてローレンと私は素晴らしい家庭を築いています。


アップルをクビになってなければこうはならなかったと断言できます。
ひどい味の薬でしたが患者には必要だったのでしょう。
人生ではレンガで殴られるようなことが起こることがあります。
信念を失ってはいけない。私は自分のやったことを愛せたから続けてこられたんです。

皆さんも自分の好きなことを見つけなければいけない。
それは仕事も恋人でも同じです。
人生で仕事が大きなパートを占めていくでしょうが
本当に満足する唯一の方法は素晴らしいと信じる仕事をすることです。
偉大な仕事をする唯一の方法は、あなたのする仕事を愛することです。

まだ見つかってないなら、探し続けること、止まらないこと。
心の問題と同じで、見つけたときは分かります。
そして素晴らしい関係のように年を重ねるごとに良くなっていきます。
だから見つかるまで探し続けること。止まってはいけません。
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3つ目は『死』についての話です。

17歳のとき、こんな文章を読みました。
「一日一日を人生最後の日として生きよう。いずれその日が本当にやって来る。」
強烈な印象を受けました。そして33年間、毎朝、鏡をみて自問自答しました。
「今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか。」
NOという答えが幾日も続いたら、私は何か変える必要があると知るのです。

死を意識することは、人生において大きな決断をする価値基準となる最も大切なことです。なぜなら、ほとんどすべて外部からの期待やプライド、恥や失敗への恐れ、これらは死によって一切なくなるのです。
あなたが死を意識することが、失うことを恐れない最良の方法なのです。
あなたたちは既にありのままなのです。思うままに行動しない理由はないのです。

私は1年前にガンと診断されました。
朝7時半にスキャンしたところ、すい臓の腫瘍がはっきり写っていたのです。
私はすい臓が何かも知りませんでした。
医者は言いました。
「ほぼ間違いなく治療不能なガンで余命は3ヵ月から6ヵ月でしょう。」
主治医は家に帰って仕事を片付けるように言いました。
それは死の準備をするようにという意味の医者の言葉なのです。
つまり、子ども達に伝えるべき今後10年間のこと すべてを数ヶ月で伝えろということなのです。
家族がなるべく楽になるようにしっかり始末しなさいということなのです。
家族にさようならを告げなさいということなのです。

私は診断書を一日抱えて過ごし、夕方、生検の検査をしました。
内視鏡は、のどから胃腸に入り、すい臓からガン細胞を採取しました。
私は鎮静剤を服用していたのですがそこにいた妻は私に話してくれました。
医者達は顕微鏡で細胞を見た途端に叫びだしたそうです。
極めて希な、手術可能なすい臓ガンだと分かったからです。
私は手術を受け、今も元気です。

これまで私が最も死に直面した経験でこの先何十年かは ないことを望みます。
この経験から、私はより確信を持ってあなたたちに言えます。
死を意識することは役に立ったが、単に頭の中の概念でした。
誰も死を望みません。天国に行きたいという人さえ 死を望まない。
にも関わらず、死は我々が共有する最終地点なのです。
誰も逃れることはできないのです。
そしてそうあるべきなのです。死は生における最も優れた創造物なのだから。
それは生に変化を起こすもので、古きものを消し、新しきものへの道をつくるのです。

今、新しきは君たちです。しかし、そう遠くない未来に 君たちも古きものとなり消えていきます。
とてもドラマチックな言い方で申し訳ないですが、それはまったくの真実です。
君たちの時間は限られている。だから無駄に誰かの人生を生きないこと。
教義に捕らわれてはいけない。それは他人の考え方と共に生きるということだから。
他人の意見というノイズによって、あなた自身の内なる声、心、直感をかき消されないようにしなさい。

最も大事なことはあなたの心や直感かに従う勇気を持つことです。
それら内なる声、心、直感はどういうわけか君が本当に何になりたいのか既に知っているのです。
それ以外のものは、二の次でいい。
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私が若い頃、「全地球カタログ」という驚くべき本があって、同世代のバイブルでした。
それはステュワート・ブランドが製作しており、彼の詩的な作風で生き生きと仕上げていました。

60年代後半でパソコンもなく、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作っていました。
それは当時のGoogle文庫版といえるもので、理念があり、使える道具と偉大な概念で一杯でした。
ステュワートたちは「全地球カタログ」を何度か出版し、一通りやり終えると、最終号を出しました。
70年代の中頃で私は君たちと同じ年頃でした。
最終号の裏表紙は早朝の田舎道の写真でした。
冒険好きならヒッチハイクでみるだろう田舎道。

写真の下にはこんな言葉がありました。
Stay hungry, Stay foolish.(ハングリーであれ、バカであれ)
それは彼らが残した別れのメッセージでした。

Stay hungry, Stay foolish.(ハングリーであれ、バカであれ)
常に私自身がそうありたいと願っています。

そして今、卒業して新しい人生を始める君たちにそうあってほしいと願います。
Stay hungry, Stay foolish.(ハングリーであれ、バカであれ)
ご清聴有り難うございました。

Stay hungry. Stay foolish.